今更ピアノを習うわけ。
むか~しむかし、あるところにカワイ音楽教室でオルガンを習っているカワイい小学生がおったとさ。
家のオルガンは濃いシックな色合いで、ペダルは3つ付いている、カワイの結構上級モデルだったと思います。母親は貧乏なのに良い物を買い与えるのにお金を惜みません。ペダルはボリュームペダル以外は覚えていませんが、足踏みオルガンではありません(笑)。
オルガンの先生はとっても明るくて優しくて、練習に自然に身が入ります。毎週の教室もとても楽しかったと幼い記憶に残っています。上級過程の卒業発表会に公民館で、そろばん塾の先生のお嬢さんと一緒に弾いた埴生の宿(HOME SWEET HOME)のそれはそれは楽しかったこと!忘れられません。今でもちゃんと弾けます。
オルガンの上級過程が終わって、先生にも母親にもピアノへの移行を勧められ、その気になった小学生がおったとさ。
というわけで、ピアノの個人レッスンが始まりました。
と、ところが...ピアノの先生が...こわい!
端が上がった黒のキツネ眼鏡を掛けていました。
手を叩いたり、頭を小突くのは毎度の事→嘘です。
嫌な記憶は忘れ去るもので、何が怖かったのか全く思い出せません。ただ練習に厳しかっただけなのかも知れませんが、ピアノのレッスンがイヤでイヤで堪らなくなってしまいました。
K先生ごめんなさい🙇♂️
そんなわけで、女手一つで育てられた小学生は、生まれて初めて母親に背いて、ピアノをやめてしまいましたとさ。
めでたし、めでたし......とはいきませんでした。
「 ピアノを習っていれば良かった」と真剣に後悔した瞬間(笑)
・中1でブラバンで仲良くなったトロンボーンのA君が音楽室のグランドピアノでトルコ行進曲を華麗に弾いた時
・高1で知り合ったバイオリンで音大を目指すTちゃんに、ピアノ練習室で「まだ間に合うから一緒に音大を受験しようよ」と誘われた時
・同じくTちゃんが、音楽の授業のリコーダーのテストのピアノ伴奏者に指名してくれて(出来レース)、すごく吹きづらい思いをさせた時
・高3の時に知り合った音大出たての臨教のM先生の家へ遊びに行って、一緒にピアノを弾いた時
・大学でロックバンドでキーボードを担当して、指が思うように動かず、アドリブがじぇんじぇん冴えなかった時
・50歳を過ぎて大人のピアノ発表会に出たら、わざわざ聴きに来た母親に「もう少し上手だったら私も後悔していた...」と言われた時
まあ、青春の光と影と言いますか、書いているうちに追加で2つ思い出したのはすごい🤗
その後、長男、長女ともピアノを習わせましたが、実りなきこと見事でした(笑)。
といわけで、老化防止に
というわけで、2002年から「大人のためのピアノ教室」で習い始めました。中国の仕事で9年間の空白を経て2年前から再開しました。今はこちらにお世話になっています。


リニューアルしてとても綺麗な教室です。
ふと両手の10本の指が別々に動いているのを感じる時、老化防止に役に立つと実感したりします。
最後までご覧頂きありがとうございます。